初期に、南オーストラリアに入植した人々の4分の3は、わずかな財産しか持たず、補助金を受けた移民であったとはいえ、地主になり得た者はほとんどいなかったのです。
1870年から1871年に至っては、南オーストラリアの農地のほとんどが、資本を持った入植者の所有となっていました。
他の地方と同様、南オーストラリアでも、補助金を受けた移民のほとんどは、都会及びその近郊にとどまり、奥地へ入って行こうとはしませんでした。
南オーストラリア植民地を創設した背景には、宗教的自由を勝ち得たいという、別の期待もありました。
19世紀英国で、宣戦の布告なくして戦われた戦争の中でも、宗教戦争は最も長びく戦いの1つでした。
1829年までには、英国国教会に属さぬプロテスタント、ローマカトリック教徒にも、公職に就く権利を初めとする市民権が認められる様になっていました。
1832年に制定された改輩法により非国教主義が勢力を誇っていた都市部に居住する多数の人々に対しても、市民権が与えられる様になりました。
英国国教会は、依然として10分の1の教区税を徴集する権利を持ち、教会学校に対する政府の許認可権に関して優位な立場にあるなど、法律で認められた公式教会としての地位を保っていました。
